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怪談のススメ

【序】

以前、その場所には立派な病院が建っていた。

 いや、建物自体は今もその場所にある。しかし、そこはもう医療機関としては機能していない。
 不況の煽りを受け数年前に業務を停止して閉院し、次の所有者が現れていないためか解体される事なく、今は廃墟となってそこに在あり続けていた。

 建物は、一応、周りを鋼板(こうはん)の仮囲(かりがこい)で囲まれているのだが、囲いの入り口となっている扉の鍵が破壊されてしまったのを直しておらず、そればかりか、イタズラで一部囲いが外されてしまった場所もそのままになっていたので、その気になれば誰でも出入りは自由な状態だ。
 その気になれば……というのは、その廃墟と化した病院には、いつしか奇妙な噂が立っており、興味本位でそこに侵入する輩やからが少なからず居たからである。

 人影を見ただとか、それが血塗(ちまみ)れであっただとか、建物近くを通れば何者かの声が聞こえるだとか……噂そのものは廃墟によくある話ばかりで、今一つ出所や信憑性に欠けてはいたが、それでも一定の層を引き付ける力はあったので、探索などと称して訪れる者の姿が、時々、見かけられた。


 そんな一団の中の一つの姿が、逢魔時(おうまがとき)から宵(よい)のうちに移り変わる頃、件(くだん)の病院の中にあった。

 学生だろうと思われる数人の若い男女。
 心霊スポットに肝試し……そんな感覚で訪れたであろう彼らは、始め、おっかなびっくりとした様子ながらも談笑しつつ、院内を散策していた。

 しかし、ある瞬間に彼らの様子は一変する。

 辛うじて「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」とだけ解る言葉と、高低合わさった悲鳴やすすり泣きが混ざり、『皆で仲良く肝試し』と称するには慌ただしく、苦悶に満ちた表情で逃げ惑う。
 彼らは、ナニカに追われている様だった。


「やれやれ」

 同じ時、そんな彼らの様子を、少し離れた場所から眺めている男がいた。

「面白半分に手を出すからですよ」

 呆れたと言わんばかりの言葉を吐き出した男は、走り回る学生たちよりも更に年若い。
 黒い学生服に身を包んだその姿は、おどろおどろしいその場の空気に何故だかよく馴染んでいる。

「闇尾(やみお)、高みの見物をしながらその発言とは、些いささか鬼畜の所業が過ぎやしませんか? 鬼畜というか……昨今(さっこん)ではこういうのを何と言ったんでしたかね……ああ、確か『ドS』と言いましたか」

 その場には、一見すると男が一人で佇んでいた。
 けれど、男の傍(かたわら)からはもう 一つ、別な男の声がする。

「鬼畜なつもりはありませんがねぇ……あの結果は、ほとんどが彼かれらの自業自得に近いでしょうに。……そもそも、我々が助けるべくは彼(かれ)らではなく彼(あれ)らの方ですよ」

「それは、そうですが」

 血の気のない唇に、ニタリとした笑みを浮かべながら、学生服の男は声の主に向かって言った。

 遠くを走る若者たちとこの男以外に、人の姿は見当たらないが、人ではないモノの気配だけは無数に感じられる。
 その中の二つが、男の側に寄り添って居た。

 一つは、烏揚羽(からすあげは)によく似た漆黒の蝶。
 もう一つは蒼白く揺らめく拳大(こぶしだい)ほどの炎の塊。

「『命まで取りはしないはず』と、おっしゃっているので大丈夫でしょう」

「それは私にも現在進行形で聴こえておりますので、態々(わざわざ)、繰り返して頂かなくて結構です。しかしですね、闇尾、若気の至りというものは時として……」

「おや?」

「何ですか、他人(ひと)が話しをしている途中に遮るとは。私は貴方をそんな風に育てた覚えはありませんよ」

「育てられた覚えもありませんがねぇ……いえね、今、窓の外を随分と珍しいものが横切ったんですよ」

「窓の外を……珍しいもの……」

 彼らが立って居るのは、かつて、待合ロビーであったのだろう、広い空間である。
 古びたソファーと、彼らが立っている柱の向こう側に、大きな窓があった。

 ところどころ硝子(ガラス)が外れて居るのは、建物の経年から見るに、探索に訪れた輩の悪ふざけで割られてしまったものだろう。
 その窓の外を小走りに横切る人影(ひとかげ)がある。

 平均的な成人男性よりも背丈はなく、丸みを帯びたフォルム。
 肩くらいの長さにある髪をぴょこぴょこ揺らしながら移動する様さまは、この場の空気に全くそぐわない。
 そして、その人物が身に纏まとうのは、廃病院の近くにある高等学校の制服。
 つまり……。

「女子高せ……JK ですね」

「そこをあえて言い直す意味はないと思うんですがねぇ……ええ、女子高生ですよ、それも、一人で」

 この場所は、確かに、肝試し等と称した若者たちが訪れる事がある。
 その中には女子高生と呼ばれる存在も含まれている事はあった。
 しかしながらそうした女子高生が、一人で訪れた様子に遭遇することは現在に至るまでお目にかかった例ためしは無い。

 女子高生とは別に、ごく稀まれにだが、一人でこの場所に来る者もあったが、強要によって無理やり来させられた者であったり、反対に廃墟の姿を記録に収めんと息巻く一種の過ぎた愛好家であったりする事がほとんどだった。

「廃墟マニアという感じではありませんね。然(さ)りとて弱いもの虐めに遭あって無理やり来させられたという訳でも無さそうです」

「ええ、恐らく近道として利用しているのでしょう」

「態々? 心霊スポットを? ……こちら、ご近所でも少々有名だと自負しておりましたが……いえ、私の所有地では全くありませんが」

「理由に関しては僕も判わかりませんが、見てください。彼女の通り道を」

「これは……見事な、『正解ルート』ですね」

 女子高生の通った道は、元は、入院患者や外来患者、そしてその家族などの、病院を訪れる全ての人たちの癒しの空間となるべく整えられていた中庭だった。
 明るさを取り入れるための開けた空間。野生化してしまってはいるが、緑のあふれる花壇に、少々間から草は伸びているが、ほとんど荒れていない石畳調(いしだたみちょう)のタイルカーペット。

 そういった理由から、廃墟を訪れる者からすると面白みが少ない場所である。
しかしそれは病院が機能しなくなった後の人の手や思惑から難を逃れた場所であり、元が癒しの空間だった事から、負の感情が寄り付きにくい場所でもあった。

 この廃病院をただ通り道として使いたいだけならば、いくつかあるルートのうち、最も安全な『正解ルート』。

 女子高生を見つめる男の唇が、一層、不気味な歪みを見せる。

「しかも『見えていない』とは……これは、思いがけず良い者を見つけましたねぇ」


 その時、男が、女子高生を見つけた事により存在を忘れてしまっていた若者たちの中の誰かが、遠くで悲鳴を上げた。

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